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2021年のBBC最大のヒットドラマ『原潜ヴィジル』が示す、エンターテインメントの重要な役割(文/今祥枝)

解説記事

2021.12.27

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ライターの今祥枝さんに『原潜ヴィジル 水面下の陰謀』について解説いただきました。イギリスで大ヒットとなった本作は、いったい何が画期的だったのか?

目次

人気プロダクションが挑む新たなクライム・ミステリー

イギリス海軍の原子力潜水艦「ヴィジル」で起きた乗組員の”謎の死”。捜査のためにスコットランド警察の主任警部が単身潜水艦に乗り込み、陸側の捜査と並行しながら真相解明に挑む。『ライン・オブ・デューティ』や『ボディガード -守るべきもの-』といった大ヒットシリーズを手がけて、数々の記録を樹立しているワールド・プロダクションズ制作による大型シリーズ。英公共放送局のBBCで’21年8月29日から全6話が放送されて、高い視聴者数を獲得した話題のクライム・ミステリーだ。

 ヴァンガード級の潜水艦が絡むド派手な設定の本作は、『女医フォスター』『ジェントルマン・ジャック 紳士と呼ばれたレディ』のサラン・ジョーンズ、『ゲーム・オブ・スローンズ』のローズ・レスリーほかおなじみの英国実力派俳優が共演。1話ごとに凝った仕掛けがなされている密な内容は娯楽度も満点。毎週日曜夜の放送のたびに視聴者を驚かせて、事件の真相をめぐってはSNS上でも盛り上がりを見せた。動画配信サービスで観たい時にいつでも観られるスタイルが普及する一方で、複数の人間が同時視聴するためのサービスをプラットフォームが提供するなど、多くの視聴者が一つの作品をリアルタイムで楽しむというTVシリーズの本来の楽しみ方を見直す流れもある。もちろん現代人は忙しいので、基本的に自分のペースでキャッチアップや視聴できる動画配信サービスは必須だが、週一放送の両輪が海外ドラマファンにとって望ましい形なのかもしれない。

ひとつの事件を皮切りに、物語は政治や国防にまで展開

ドラマはイギリス領海内で操業中のトロール漁船のワイヤーが海中に引き込まれるところから始まる。漁師たちがのんきに無駄口を叩くシーンから一転、漁船は浸水し、半分沈んだまま何かに引っ張られてついには海中へ。その頃、1キロ足らずの海域で潜航中のイギリス海軍の原子力潜水艦ヴィジルの艦内で、この異常事態が感知される。バーク上等兵曹は浮上して救出に向かうことを上官に進言するが却下され、間もなくバークは死体で発見される。薬物過剰摂取が原因とされる中、スコットランド警察の主任警部シルヴァが潜水艦に乗り込み遺体を調べるが、証拠から他殺であることが判明。並行して陸地ではシルヴァの相棒としてカーステン巡査部長が捜査を行う。

 冒頭でシルヴァほか警察が海軍から説明を受けるシーンがある。なぜ帰港して調査しないのかというシルヴァの問いに対して、憤慨したようすで「4隻のヴァンガード級潜水艦は核抑止を担っている。常に海中を哨戒し、ミサイル発射に備えている。50年続くこの体制を1人の過ちや官僚の都合で無にする気はない」と言い放つ。ここから先の海軍の世界では、一般の常識が通用しないこと、また「人一人の命より国防が大事」とする海軍の価値観にシルヴァたちが向かうべき相手の厄介さが想像できる。さらに潜水艦では受信はできるが電話による発信は禁止だと告げられる。海洋上でいわば孤立無援の状態でシルヴァは任務を遂行しなければならない。

 乗艦すると、潜水艦の乗組員は女性はたったの8人で男性が140人。圧倒的な男社会で多くはシルヴァに非協力的で、どう見ても何か隠しており、その上司たちもまた一枚岩ではなく不和が生じている。バーク曹長に何があったのか? トロール漁船の沈没とどう関係があるのか? やがてシルヴァの発言に対して潜水艦の艦長が「平時など幻想だ。我々は常に戦争状態にあるのだ」と声を荒げるように、事態はにわかに緊迫した国防や政治色を帯びてくる。視聴者は敵はロシアなのか中国なのか、はたまた……? と忙しくなく頭を働かせることだろう。現代の複雑な国際情勢を背景にした二転三転、ツイストしまくるミステリーの要素に、反核や軍事費の削減を訴える市民レベルでの政治も取り込まれた内容がドラマに厚みを与えている。

潜水艦の閉塞感を最大限に高める巧みな演出

もう一つ本作のスリルを盛り上げる重要な要素として、登場人物のパーソナルな物語がある。シルヴァは深刻な問題を抱える女性だ。フラッシュバックで明かされて行くある男性と子供との幸せな日常が悲劇と転じたトラウマから、実は閉所恐怖症であり、不安症でうつにより薬を服用している。ちょっとやり過ぎな感があるかもしれないが、例えば刑事ドラマの優秀な刑事が数々の任務上の悲劇を経験したことで、トラウマや問題を抱えているといった設定は珍しくないし職業病と言える部分もあるかもしれない。シルヴァのこのトラウマ、特に閉所恐怖症という設定は本作の心理的な抑圧と恐怖を伝える要素としてよく機能している。

 本作の制作陣は潜水艦乗組員だった元海軍兵の監修のもと、イギリス海軍が誇るヴァンガード級原子力潜水艦の細部までリアルな全長約49メートルのセットをスタジオに建設して撮影した。だが重要なのはそのスケールの大きさというより、いかに逃げ場がなく密閉された艦内の息苦しさや圧迫感がリアルなセットによって視聴者に伝わるかという点だ。人とすれ違う時の近さや、上下左右へ移動しながら狭い女子部屋の2段ベッドの上に身体を滑り込ませるシルヴァが、すぐ目の前にある天井を見つめながら潜水艦が軋む音を聞き、深海を感じながら眠りにつこうと目を閉じるとトラウマが蘇ってくる。そんなシーン一つを取っても臨場感はたっぷり。この閉塞感が生むストレスを最大限に引き出す終盤の見せ場には、文字通り息が詰まるほどの緊迫感とスリルが待っている。

 こうした本作の魅力の数々は、娯楽として文句なしの一級品だ。だが、本作が真に野心的で従来のTVと一線を画しているのは、現実的には極めて男性主体の世界を舞台にした骨太のサスペンススリラーにおいて主演の2人が女性という点にあるだろう。

他作品とは一線を画す、主人公が公私ともにパートナーな女性という設定

冒頭で潜水艦から電話できないことを知ったシルヴァは、陸で捜査を行う相棒としてカーステンを指名する。通信が制限された中での意思疎通にはあうんの呼吸が必要と考えたシルヴァは、今は微妙な関係にあるが私生活のパートナーであるカーステンなら、それができると考えたのだ。非常事態のただ中にあって、シルヴァは初めて恋をした女性カーステンとの愛について悩み、一人の人間としてどう生きるべきなのかを模索しているわけだが、個人の悩みとは往々にして時を選ばずそうしたものではないだろうか。

 視聴者の中には「なぜ主演2人がレズビアンである必要があるのか?」という疑問を持つ人もいるかもしれない。現実を反映するならマジョリティであるシスジェンダーヘテロセクシュアルの男女が主人公であり、異性愛者としての恋愛感情が海上と陸地のコミュニケーションを助ける方が設定として自然だと考える人もいるだろう。実際にこの手の娯楽大作を振り返ってみれば、そうした設定が普通と考えられてきたことは明白だ。しかし、それはあくまでもこれまでの”常識”の話。長い間”見えない者”とされてきたシルヴァやカーステインのようなキャラクターが、BBCの王道の娯楽大作の主人公であることは大きな意味を持つ。昨今はこの手の設定に対して行き過ぎたポリティカルコレクトネスだとして批判する向きもあるが、現実的に十分にあり得るというだけでなく、”あるべき姿を示す”というエンターテインメントが本来担っている重要な役割を果たしている。そこにこそ本作の特筆すべき点があるだろう。

 シルヴァ役のサラン・ジョーンズは公式のインタビューで、「セクシュアリティもジェンダーも政治も、これらが全部一つの物語であることが大事。それがエンターテインメントなのだ」と本作について語っている。まさに『原潜ヴィジル 水面下の陰謀』が現代の優れたエンターテインメントである最大の理由を言い得ていると思う。
『原潜ヴィジル 水面下の陰謀』
原題:VIGIL

(c) WORLD PRODUCTIONS LTD. MMXXI
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