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STAR CHANNEL MOVIES『ベルリン・アレクサンダープラッツ』映画評論家・柳下毅一郎さんの深堀コラムを公開!【絶賛オンライン上映中】

ベルリン・アレクサンダープラッツ
ベルリン・アレクサンダープラッツ
 STAR CHANNEL MOVIES『ベルリン・アレクサンダープラッツ』についてより深く楽しんでいただくために、映画評論家の柳下毅一郎さんにコラムをご寄稿いただきました!
 観た後に心をざわつかせる本作の魅力を紐解くコラムをぜひお楽しみください。

「アレクサンダー広場の神話」柳下毅一郎

 “ベルリン・アレクサンダー広場”はひとつの神話である。それは大いなる原型、すべての人の夢を受け入れる器だ。ブルハン・クルバニの夢もまた、アレクサンダー広場に重ねられた。クルバニのアレクサンダー広場を見る前に、そこに重ねられている一つの、いや二つの神話を解かねばならない。

 かつてベルリン最大の繁華街だったアレクサンダー広場が、東ドイツ時代にすっかり様変わりしてしまっても、なおもベルリンの象徴でありつづけているのは、一九二九年にアルフレート・デーブリーンが発表した大作小説『ベルリン・アレクサンダー広場』のおかげである。デーブリーンこそ、最初にアレクサンダー広場の神話をつむいだ語り部である。ドイツ近代文学のマグナム・オパスに、デーブリーンはベルリンのすべてを詰め込もうとした。とりもなおさず、それは混沌のワイマール共和国そのものであった。
 デーブリーンは、新しい言語によってベルリンのすべてを描きだそうとした。『ベルリン・アレクサンダー広場』の中には新聞記事から市電の路線案内、家畜市場で売られる家畜の数までありとあらゆるものがぶちこまれている。しばしばジョイスの『ユリシーズ』とも比較される『アレクサンダー広場』の真の主役はアレックス=アレクサンダー広場であり、ベルリンというメガロポリスそのものだった。デーブリーンの『アレクサンダー広場』はひとつの都市を神話化する試みだったのだ。

 長大かつ複雑な小説の映画化に挑戦し、新たな神話を築きあげんとしたのがニュー・ジャーマン・シネマの風雲児ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーである。ファスビンダーは一四歳のときにデーブリーンの小説を読み、一読して自分のすべてをそこに認めた。主人公フランツ・ビーバーコップは自分であり、彼の苦悩はすべて自分のものでもある。「自分という存在の自分性はデーブリーンが『ベルリン・アレクサンダー広場』で描いたものでしかなかった。知らず知らずのうちに、ぼくはデーブリーンの夢想を生きていた」ファスビンダーは自作にたびたび自分の分身として「フランツ・ビーバーコップ」を登場させた。そして満を持して、一九七九年、畢生の大作として、『ベルリン・アレクサンダー広場』を連続テレビドラマとして製作する。全十四話、十四時間半以上の超大作で、ファスビンダーは『アレクサンダー広場』を自分の名前と切り離せないものにしようとした。ファスビンダーはナルシシズムを全開にビーバーコップの神話と自分の夢想を混ぜあわせる。デーブリーンの都市の神話を、ファスビンダーは強引に個人の神話に仕立てなおしたのである。

 今、『ベルリン・アレクサンダー広場』を映画化するというのは、この二つの強大な神話を飲み込んだ上で、新たな神話を作りあげることである。ブルハン・クルバニはいったい何をやったのか。
 クルバニは驚くべきウルトラCによって、物語を現代化してみせた。主人公はフランツではなくフランシス・Bになった。時代は現代。フランシスはギニア・ビサウからやってきた不法入国の難民である。デーブリーンのアレックスも、ファスビンダーのビーバーコップも、ここには登場しない。それどころかフランシスは英語を喋る。
 さらに膨大な登場人物と脇筋を大胆に刈り込み、物語をシンプルにフランシス=フランツとラインホルトの関係に絞った。もともと、デーブリーンの原作においても、フランツとラインホルトのSM的関係性は謎に満ちている。フランツはラインホルトにたびたび痛めつけられながら、それでもどこまでも彼を信じようとする。ファスビンダーはそれをフランツの底抜けの善性のあらわれだと解釈した(そして、フランツ=ファスビンダーはそれゆえに裏切られる)。だが、クルバニは二人を競い合うライバルとして造形する。フランシスは若く攻撃的で野心に燃える若者だ。それはデーブリーンのフランツともファスビンダーのフランツとも異なる、まったく新しいキャラクターである。
 新しいフランツ/フランシスはドイツ人ではない。ラインホルトに導かれて麻薬売買に手を染めるフランシスは、移民として身をたて、ドイツで成功することを夢見ている。ドイツ車に乗り、ドイツ人のガールフレンドと付きあうことを。彼は黒人で、強く、恐れ知らず。Ich bin Deutschland! 俺がドイツだ!
 そう、これはフランシスがジャーマン・ドリーム(それはもちろん神話だ)をかなえようとする物語だ。そのゴールこそが、物語の最後にフランシスがたどりつくアレクサンダー広場なのである。かくしてアフガニスタン難民の子であるクルバニは、フランツの地獄めぐりをデーブリーンのようにドイツの全体を、ファスビンダーのように自分の話として、神話に昇華してみせるのだ。

映画は死なず!
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