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名匠トリュフォー監督の“もうふたつの顔”?が生んだ超・ド級の激レア作品が、封印を解かれ復活!その①『マタ・ハリ』 original image 16x9

名匠トリュフォー監督の“もうふたつの顔”?が生んだ超・ド級の激レア作品が、封印を解かれ復活!その①『マタ・ハリ』

解説記事

2024.11.19

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DVDにプレミア価格がついている!いや、未円盤化でVHSが最後!! いや、未ソフト化で大昔に劇場かTVでやったのが最後!!! いや、そもそも日本未公開!!!!! ここでしかなかなか見られない~完全にここでしか見られない、まで“激レア”な映画を夜っぴて味わうサーズデイナイト。題して「木曜 夜なべ激レア」。11月に放送される”超・ド級の激レア作品”を2回に分けてご紹介。

目次

名脚本家J=L・リシャールの監督業への挑戦を、僚友トリュフォーが全面バックアップ!

『大人は判ってくれない』(1959)『突然炎のごとく(ジュールとジム)』(1962)『恋のエチュード』(1971)『アメリカの夜』(1973)『アデルの恋の物語』(1975)『終電車』(1980)…21本の珠玉の長篇を遺し、52歳の若さで世を去った名匠フランソワ・トリュフォー監督。映画ファンなら「カイエ・デュ・シネマ」誌ほかでの批評家時代を経て、同人のGOD=ゴダールやシャブロルらとほぼ同時期に20代で監督デビュー、ヌーヴェル・ヴァーグ(以下NV)の旗手として活躍した、といった大まかな略歴はご存じかと思う。

日本では監督の生誕90年にあたった2022年に映画祭が開催されたばかりだし、本国フランスでも今年・2024年のカンヌ映画祭で最新ドキュメンタリー『François Truffaut, Le Scénario de Ma Vie』がプレミア上映、『ピアニストを撃て』(1960)『柔らかい肌』(1963)『隣の女』(1981)そして遺作になってしまった『日曜日が待ち遠しい!』(1982)が『恋のエチュード』と共に4K・UHD化され劇場で再公開と、これらを通じて今なお新たなファンを獲得し続けている。意外なところで、アメリカのTVドラマを見ていると、たまにトリュフォー作品ネタが出てくる事があるんだよ!(*1)きっと、そんな番組の製作陣の中にも熱心なファンがおり、隙あらばと、その想いを差し込んだに違いないのだ。
トリュフォーは長篇第一作の『大人は~』に先駆けて発表した短篇『あこがれ』(1957)からの全監督作を自身の会社レ・フィルム・デュ・キャロッス(*2)で製作しており、同様に脚本も全作品で手掛けているが(*3)、自分が監督した作品以外での「脚本家」そして「製作者」としてのフィルモグラフィもある。
…と書いたが、監督のキャリアと同じくらい注力した、という訳ではなく①「カイエ・デュ・シネマ」やNV一派の仲間たちの②尊敬する先達や注目する気鋭といった監督たちの、活動をサポートした結果だった様だ(*4)
今回はそんなトリュフォーの“アナザー・ワークス”から、親友のひとりクロード・ド・ジヴレーの監督デビュー作『のらくら兵‘62』(1960)と、トリュフォー組の脚本家ジャン=ルイ・リシャール作品『マタ・ハリ』(1964)の2本が【木曜 夜なべ激レア】に登場する。前者は今まで未公開で、日本語字幕が付くのはこれが初めて。後者も1965年11月6日の日本公開以来リヴァイヴァルされていない。2本とも過去にソフト化されず、配信の履歴も当然ございません!特に前者は、これまでの【木曜 夜なべ激レア】で放送された(その中には某経由でご案内した『ル・バル』(1982)『都会のひと部屋』(1981)『ジュ・テーム、ジュ・テーム』(1968)『創造物』(1964)も含まれる)どの作品よりも超・ド級の激レアだと煽っておく(笑)。トリュフォー監督が旅立って早や40年の節目の今年、固い友情から生まれたこの2本を心して見やがれ!

では両作品について、2回に分けてもう少し詳しく触れてゆきたい。先ずは放送順に~『アメリカの夜』の劇中映画「パメラを紹介します」に倣って~“『マタ・ハリ』から紹介します”。

1964 FILMEL / LES FILMS DU CARROSSE / SIMAR / FIDA CINEMATOGRAFICA

セクシーなのにイノセント――名女優ジャンヌ・モローが熱演で魅せる「伝説の女スパイの純愛」

第一次大戦さなかのパリ。人気絶頂のダンサー、マタ・ハリのエキゾティックな踊りが今宵も満員の会場を魅了する。しかし彼女がドイツのスパイだとは誰も知る由もなかった。連絡係リュドヴィクより、彼女に新たに下された指令はフランス軍大尉ラサールが持つ機密文書を奪うこと。その美貌で瞬く間に彼を虜にしたマタ・ハリだが誤算が生じた。彼女もまた、彼に魅かれてしまったのだ。ラサールが前線で負傷した報を受けたマタ・ハリはかの地に駆け付け、互いの想いを確かめ合う。だが束の間の幸せに浸る彼女の前に、リュドヴィクが次の指令と共に現れた。拒否すれば大尉の命に係わると知り、マタ・ハリは最後の任務に就くが…
実在の女性スパイ(ストリッパー、そして高級娼婦でもあったらしい)マタ・ハリ(*5)。彼女の生涯はあまたの映画・TV人の創造力を掻き立てる様で、グレタ・ガルボ(『間諜X27』のマレーネ・ディートリッヒも含まれよう。同作とガルボ版『マタ・ハリ』は共に1931年作品)から『エマニエル夫人』(1974)ことシルヴィア・クリステル(*6)までが扮し、最近ではミュージカルにもなり、再々演もされているんでしょ?そんな“不滅の人気キャラ”を、フランソワ・トリュフォー製作・共同脚本(台詞も兼務)(*7)、ジャン=ルイ・リシャール監督・脚本で、彼の元妻ジャンヌ・モローを主演に据え映画化したのが本作だ。

そのジャンヌがすこぶる魅力的。彼女といえば『突然炎のごとく』のカトリーヌ(トリュフォー作品には他に『大人は判ってくれない』でカメオ出演と、1968年の『黒衣の花嫁』に主演している)、そして『死刑台のエレベーター』(1957)『エヴァの匂い』(1962)等がすぐ思い浮かぶが、60年代前半は女優としての絶頂期。“冷静にハニートラップを仕掛ける悪女”なんてステレオタイプではない、妖艶さと純真さが違和感なく同居した生身のマタ・ハリを熱演する。彼女の当時の恋人ピエール・カルダン(*8)による数々の衣装(冒頭の公演シーンでは、ほぼヌード!な大胆コスチュームを着用)も目に楽しい。

ラサール大尉には当時いよいよ主演級になりつつあったジャン=ルイ・トランティニャン(『男と女』(1966))、マタ・ハリのお抱え運転手で実は…なジュリアンにクロード・リッシュ(『捕えられた伍長』(1962))(*9)、マタ・ハリの愛人のひとりガストンにはアンリ・ガルサン(『牝猫と現金』(1967))。この3名、後年のトリュフォー監督作にも登場するのだった(トランティニャンは『日曜日が~』、リッシュは『黒衣~』、ガルサンが『隣の女』)。加えてマタ・ハリに仕えるシャルロット役ニコール・ドサイは『柔らかい肌』の主演ジャン・ドサイ夫人。特異なルックスが印象に残るリュドヴィク役ジョルジュ・リキエは本作が代表作か。そしてマタ・ハリのだらしない実父で『大人は~』の“まま父”アルベール・レミーも出演している。

更に、前半のパーティのシーンに“アントワーヌ・ドワネル”ことジャン=ピエール・レオー、ラサールの出征シーンで、マタ・ハリ同様ボーイフレンドを見送る娘に『ピアニストを撃て』のマリー・デュボワ、マタ・ハリが潜入する仏軍要塞の兵士役で『黒衣~』『恋愛日記』(1977)のシャルル・デネルと、ジャンヌのほぼ前作=ブニュエル版『小間使の日記』(1964)で彼女をいたぶるジョルジュ・ジェレが顔を見せる。なかなか豪華なキャスティングなのだ。

1964 FILMEL / LES FILMS DU CARROSSE / SIMAR / FIDA CINEMATOGRAFICA

まるで“トリュフォー監督、まぼろしの22本目の長篇映画”の様なロマンティック・サスペンス

この辺で、本作の監督ジャン=ルイ・リシャールを紹介しよう。ジャン・グリュオー(*10)やシュザンヌ・シフマン(*11)と並ぶ、トリュフォー作品における重要な共同脚本家で、『柔らかい肌』で初めて組んで以来、難産だった『華氏451』(1966)、『黒衣の花嫁』、アカデミー賞オリジナル脚本賞候補(S・シフマン共)に挙がった『アメリカの夜』に携わった。もともと俳優で、名優ルイ・ジューヴェ(ルノワール版『どん底』(1936))の元で舞台に立った後、彼の演出助手を経て1958年には舞台演出家デビューを果たす。そんな彼を映画に引き込んだのはトリュフォーで、『大人は判ってくれない』の頃に親しくなり、彼が『ピアニストを撃て』のラッシュに招かれた際に助言した事が、以降の作品の脚本への参加に繋がったらしい。それからはカメラの後ろ側での活動が中心になったが、俳優業に復帰したのもトリュフォーに、『終電車』で親ナチスの大物演劇評論家の役で出演を請われてから、の様だ(*12)。ジャンヌ・モローとは1949年から51年まで結婚、だが別れた後も交流は続き、本作に次ぐ監督第3作『Le Corps de Diane(ディアーヌの体)』(未、1969)でも組んでいた(*13)
監督としては計4本を発表。以下、簡単にまとめると…デビュー作『Bonne Chance, Charlie』(未、1962)は“レミー・コーション”ことエディー・コンスタンティーヌ主演のマンハント・アクションで、手堅くまとめていた。第2作目が本作『マタ・ハリ』。再び元妻ジャンヌ主演の上記『ディアーヌの体』はモラヴィア著「倦怠」のヴァリエーションといえる力作。『黒衣の花嫁』で手合わせしていたジャンヌと前述のシャルル・デネルが、演技でがっぷり四つに組んで見ごたえあり。少し間が空いた1985年、最後の監督作『レディ・エース』(松竹富士の配給で公開済)は、こう書けば身も蓋もないけどエロ映画(笑)かな、、、で、『マタ・ハリ』だけには、他の3本に希薄だった演出面での“トリュフォー調”を強く感じたのだった。
そうなのだ、監督リシャールには大変申し訳ない書き方になるが、某にとって本作は「トリュフォー監督の22本目の長篇映画」なんだよ!(笑)同じ脚本コンビで製作が前後していた事もあり、①早くもNVを消化した感覚で古典的な題材に取り組む姿勢が共通②両作品ともトリュフォーが敬愛するヒチコック監督の手法=ヒッチ・タッチを積極導入、といった点でも、本作と『柔らかい肌』が(全然違う映画なのに)姉妹篇の様に感じていた。ましてやジャンヌ・モローが出てきて、そのシーンにトリュフォー組の名作曲家ジョルジュ・ドルリュー(他に『暗殺の森』(1970)『ジュリア』(1977)等)による美しいスコアが流れると(*14)、もう“らしさ”が溢れ出てくるのだ(この辺はリシャールも狙ってやっている感じがするが)。更にダメ押しで、クライマックス近くにはマルセル・ベルベールさんまで出ちゃうんだから!(*15)本作を初めて見たのは十数年くらい前にスペイン盤DVDで、だったが、まるで「タイムカプセルの中で眠っていた22本目を発掘した」様な、幸福な気分になったっけ。

1964 FILMEL / LES FILMS DU CARROSSE / SIMAR / FIDA CINEMATOGRAFICA

さて『マタ・ハリ』を見て以降、今度はほんとうに「トリュフォー監督の22本目の長篇映画」に当たるかもかもしれない作品の存在に、気付いてしまったのだった。その名は…『のらくら兵‘62』?!
――いったいどういう事なのかは次回、『のらくら兵‘62』についての原稿を読みやがれ!乞うご期待。
*1…例えば、、、米ABCファミリー(現フリーフォーム)で放送された「プリティ・リトル・ライアーズ」(2010-2017)で、女子高生アリアと禁断の恋に落ちるイケメン教師エズラの部屋のセットには『暗くなるまでこの恋を』(1969)の英語版ポスターが飾られていた!あと、米CBSで放送された「ナンバーズ 天才数学者の事件ファイル」(2005-2010)他の諸番組(それもアクション捜査ものだったと思う)の各エピソードで、トリュフォー作品を見に行く、といった類のセリフがあったハズ
*2…Les Films du Carrosse. ヒチコックやロッセリーニらと並び、トリュフォーが師と仰ぐ“映画の親父”ジャン・ルノワールの至高作『黄金の馬車』(1953)の原題Le Carrosse D'orに因んで命名された
*3…但し『あこがれ』、“ドワネルもの”第2作の中篇『アントワーヌとコレット』(1962)と『暗くなるまで~』を除き、トリュフォーは必ず共同執筆者を立てている
*4…某の様な人間にとってのバイブル=山田宏一氏の名著「トリュフォー ある映画的人生」によると、早くも『大人は~』の興行面での大成功後にその収益で、暫く映画が撮れなかったジャン・コクトーの『オルフェの遺言』(1960)を製作し、資金難で編集に入れなかった僚友ジャック・リヴェットの『パリはわれらのもの』(1961)にも出資したそうだ
*5…Mata Hari. 本名Margaretha Geertruida Zelle=マルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ。1876年オランダ生まれ、裕福な家庭に生まれるも父の破産で親戚に引き取られる。19歳で年上の将校と結婚するが7年後に離婚。その後フランスに渡り、夫の赴任先インドネシアで覚えたジャワ舞踏のダンサーとしてパリでデビュー、一躍人気に。その頃に仏軍・独軍双方の将校と関係を持ったことからスパイとしてリクルートされた模様。1917年フランスで銃殺刑に。芸名のマタ・ハリはインドネシア語で「日の眼」の意味だそうだ
*6…シルヴィア・クリステルと共に、GOD作『カルメンという名の女』(1983)のマルーシュカ・デートメルスも2003年のTVムーヴィ「Mata Hari, La Vraie Histoire」でマタ・ハリ役に。2人はご本人と同じオランダ出身だ。ところでジャン=ルイ・リシャールが、某は今般初めて知ったが、『エマニエル夫人』の脚色を手掛けていたんですって?(笑)
*7…以下はリシャールではなくトリュフォーが脚本に加えた要素と推測するが①ジャン=ピエール・レオーがゲスト出演するパーティのシーンはトリュフォーがファンと公言し、『夜霧の恋人たち』(1968)等で曲を挿入していたシャンソンの大御所シャルル・トレネの♪Les Relations Mondainesの歌詞の“映像化”で、レオーの役名アブサロンも同曲から取られたもの②トリュフォーは過去作のセリフを後の作品で引用する事が多いが、本作では『突然炎のごとく』で、ジュール(O・ウェルナー)がカトリーヌ(ジャンヌ)に求婚した際に彼女が返すセリフ(に近い内容のもの)を主要キャストが発する
*8…カルダンがジャンヌに衣装を提供したのは、本作の他に『エヴァの匂い』、『天使の入り江』『バナナの皮』(共に1963)、『ビバ!マリア』(1965)、『愛すべき女、女たち』(1967、フィリップ・ド・ブロカ篇)、「不滅の物語」(TV、1968)…で全部でしょうか?
*9…これはどうしても書いておきたい、クロード・リッシュは8月よりスターチャンネルで放送・配信中の『ジュ・テーム、ジュ・テーム』の主演、そしてジャン=ルイ・リシャールも出演していた(但し食堂車でのリッシュの話し相手役で、斜め横顔しか映りませんが…)。みんな、本作も見てくれよな!
*10…Jean Gruault. 『突然炎のごとく』『野生の少年』『恋のエチュード』『アデルの恋の物語』そして『緑色の部屋』(1978)の名脚本家。トリュフォー作品以外にもリヴェット『パリはわれらのもの』『修道女』(1966)、GOD『カラビニエ』(1963)、レネ『アメリカの伯父さん』(1980)、アケルマン『ゴールデン・エイティーズ』(1986)等に携わった
*11…Suzanne Schiffman. トリュフォーとはシネマテークの常連時代からの付き合いで、その後『ピアニストを撃て』ではスクリプター、『野生の~』からは助監督/第二班監督を務め、『アメリカの夜』より脚本にも参加。以降『アデルの~』『トリュフォーの思春期』(1976)『恋愛日記』『逃げ去る恋』(1978)『終電車』『日曜日が待ち遠しい!』に関わった
*12…もっともリシャールは、トリュフォー作品には既に『突然炎の~』にチラっと顔を見せ、『柔らかい肌』で夫を追ってレストランに向かう妻ネリー・ベネデッティに付きまとう男の役で登場済。遺作の『日曜日が~』でもクセのある役柄だった。以降も俳優としてデプレシャン『魂を救え!』(1992)リヴェット『ジャンヌ・ダルク』2部作(1994)からA・ドロン主演『最後の標的』(1982)等にまで出演
*13…ジャンヌが『突然炎のごとく』劇中で歌ったあの♪Le Tourbillon=つむじ風は、まだ彼女とリシャールが夫婦だった頃に『突然~』でギター伴奏した“バシアク”ことセルジュ・レズヴァニ夫妻の4人で、遊び半分で作ったものだったとか。この曲はシングル・カットされ100万枚を売り上げたそうだ。ところで元夫の監督作でのジャンヌは、他の作品よりも笑顔が多かった印象だが…?また♪つむじ風の様に、2本とも彼女が歌を口ずさむシーンがある
*14…これで撮影がラウル・クタールだったらまんまやんけ!という感じだが本作はミシェル・ケルベの担当(リシャールの監督処女作に続く起用)。モノクロの『舞踏会の手帳』(1937)や『恐るべき親達』(1948)、カラーの『フレンチ・カンカン』『赤と黒』(共に1954)等の名手だ。因みにトリュフォー監督作には参加していない
*15…Marcel Berbert. もともとトリュフォーの奥様だったマドレーヌ・モルゲンステルヌの父親が経営していた大手映画会社の副社長で、同社の出資でレ・フィルム・デュ・キャロッスが設立された際に着任。以後トリュフォー作品の製作面を支え、その特徴ある顔立ちから度々チョイ役で出演もしていた。トリュフォー監督作のファンなら、ベルベールさんが画面に出ただけで顔がほころんでしまうのだ(笑)。IMDbによれば、本作が彼の最初の映画出演とのこと
*参考文献
『マタ・ハリ』劇場用パンフレット
「トリュフォー ある映画的人生」山田宏一(平凡社)
「フランソワ・トリュフォー|シネアルバム115」責任編集:梅本洋一(芳賀書房)
「Mata Hari, agent H 21」https://fr.wikipedia.org/wiki/Mata_Hari,_agent_H_21
「映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集」(草思社)
「Jeanne Moreau : l'histoire derrière le "Tourbillon de la vie"」https://www.francetvinfo.fr/culture/jeanne-moreau-l-histoire-derriere-le-tourbillon-de-la-vie_4876547.html
Profile : ミサオ・マモル
映画ひとすじ、有余年(そしてジャズにも…って、だったら“ふたすじ”か?)。映画配給会社を6社渡り歩き、現在は映画探偵事務所813フィルムズの人。事務所開設以来の念願だったトリュフォー監督の関連作をやっとお届けできて感無量。しかし不肖・某なんぞが監督について書いていいのか、と重責を感じつつ取り組んだが、如何だったでしょう…?一つの区切りとなったが、やっぱこれで終わりにしたくない。しばしの眠りに就いている、あんな名作こんな珍作が、まだまだたくさん存在するのだ。今後もぜひ“発掘”してゆきたい。ねぇ誰か、いっしょにやろうよ!(笑)
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