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「木曜 夜なべ激レア」夏季攻勢【第1週 8/1(木)深夜24:00~】 名匠エットーレ・スコラ監督の未円盤化作『ル・バル』。とあるダンスホールの戦前〜80年代の時代の移ろいを無セリフで描く(文/ミサオ・マモル) original image 16x9

「木曜 夜なべ激レア」夏季攻勢【第1週 8/1(木)深夜24:00~】 名匠エットーレ・スコラ監督の未円盤化作『ル・バル』。とあるダンスホールの戦前〜80年代の時代の移ろいを無セリフで描く(文/ミサオ・マモル)

解説記事

2024.07.31

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DVDにプレミア価格がついている!いや、未円盤化でVHSが最後!! いや、未ソフト化で大昔に劇場かTVでやったのが最後!!! いや、そもそも日本未公開!!!!! ここでしかなかなか見られない~完全にここでしか見られない、まで“激レア”な映画を夜っぴて味わうサーズデイナイト。題して「木曜 夜なべ激レア」。8月は夏季大攻勢!とんでもないラインナップ4本が登場。

目次

イタリアの市井の人々の生活をユーモアとペーソスを交え描いてきたエットーレ・スコラ監督の幻の逸品。40年近く再上映やビデオの再発、ましてやDVDやBD化もされないまま激レア化

本作は双葉十三郎さんが「スクリーン」誌の名物連載「ぼくの採点表」で、記憶違いの場合はご容赦を、確か白星四つを進呈なさっていたので見たいなあと狙っていたんだけど、北海道は小樽の中坊は、まだ都会の札幌(北海道で本作が上映されたのは札幌だけだと思う)まで映画を見に遠征できず、泣く泣く見送らざるを得なかった。その後VHSが近所のビデオレンタル店に入荷したのに、モタモタしている内に店が潰れ(!)見逃してしまったのだった。

そんな本作は、日本でもシネマスクエアとうきゅうでの公開時に話題になった筈なのに、その後40年近く再上映やビデオの再発、ましてやDVDやBD化もされないまま【激レア化】。筆者の様に、評判は聴いていたのに見られずじまいになった方が少なくないのではないか…?

イタリアの名匠エットーレ・スコラ監督、1983年の代表作である。本作は翌84年の映画賞レースを席捲、ベルリン国際映画祭で銀熊(監督)賞を、イタリアのアカデミー=ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品・監督・音楽を含む5部門(*1)を、フランスのアカデミー=セザール賞でも作品・監督・音楽の3部門をそれぞれ受賞。また本家アカデミー外国語映画(現・国際長篇映画)賞にもノミネート(*2)された。

思えばスコラ作品は80年代のミニシアター全盛期(そんな時代があったんだよ!)に本作や『マカロニ』『ラ・ファミリア』『スプレンドール』といった新作が公開され、忘れがたい『特別な一日』や『あんなに愛し合ったのに』の70年代名篇も発掘上映されていたのだった。かなりざっくりしたまとめ方だが、イタリアの市井の人々の生活をユーモアとペーソスを交え描いてきた監督、と言えよう。その一方で『パッション・ダモーレ』(筆者が最初に見たスコラ映画)や、野村雅夫氏のセレクトで昨年スターチャンネルにて久しぶりに放映された『醜い奴、汚い奴、悪い奴』(カンヌ監督賞を受賞)の様なアクが強い作品も手掛けている。若干16歳でユーモア雑誌の編集メンバーに、その頃に先輩だった、後の巨匠フェリーニと交友を持った事は、遺作『フェデリコという不思議な存在』で描かれている通りだ。

そんな“地域密着型”ならぬ、故国イタリア密着型監督のスコラが、フランスの現代史といえる本作を手掛けたのが興味深い(*3)。

© CINE MAG BODARD – Films A2

とあるダンスホールの戦前1936年〜80年代までを描く舞台劇が原作。そこに集う人々にセリフは言わせず、時の移ろいを実に映画的に見せてくれるユニークな作品

原作はフランスの劇作家兼俳優のジャン=クロード・パンシュナ(*4、映画版の脚色に参加し出演もしている)が主宰する劇団テアトル・デュ・カンパニョールの舞台劇で、1981年2月に初演。ダンスホールという限定された空間で、フランスの第二次大戦直前(1936年のフランス人民戦線内閣樹立)から80年代までの移り変わりを、セリフをひと言も使わず俳優の踊りと身体表現、そして時代を彩ったポピュラー・ミュージックで綴り、開演当初から話題になっていた。俳優たちが、時代が変わるごとに全く異なる登場人物を演じ、一人で何役もこなすのもユニークな試みであった。

そんな舞台劇の映画化に際し、スコラは過去の自作で描いてきた点が原作に含まれていたと気付く。「『ル・バル』には私が興味を抱き続ける三つの要素がありました。“時間、孤独、名もない人々の個人史”です。そして、そんな個人史が大きな歴史に連なってゆくのです」。加えて、ルノワールやマルセル・カルネに代表される戦前フランス映画への郷愁(1936年のパートで、ジャン・ギャバン似の男優が『望郷』のペペ・ル・モコを連想する格好で出てくるから、ジュリアン・デュヴィヴィエも入るだろう)、またイタリア人もフランス人も戦時中に得られなかった、自由の香りを漂わせたアメリカ文化――アステア=ロジャースのミュージカルや“ポップス”ルイ・アームストロングらのジャズ――への憧憬を盛り込みながら脚色した、と続けている。ただ、そんなアメリカ文化が戦後・50年代にイタリアもフランスも“植民地化”してしまった事を、シニカルに盛り込むのも忘れていない(因みに1956年のパートでは、上記ギャバンが別の当たり役っぽく再登場する…誰なのかは放送と配信で!)。

舞台版のコンセプト通りセリフを使わないだけでなく、無名の舞台オリジナル・キャスト(*5)をそのまま起用しての映画化は賭けだったと察するが、それを補い且つ映画的に膨らませる工夫がなされている。先ず映画版の脚本にはスコラの発案で、キャストに役柄への理解をより深めて貰うため、登場人物のセリフが(実際には発声されないのに)書かれたそうだ(*6)。また“もうひとりの主役”ダンスホールは、舞台版ではステージ奥に階段が、左右にイスが数脚置かれただけのシンプルさ(*7)だったのに対し、映画版は時代ごとに装飾を変え、その変化を衣装と共に視覚的に表現。スコラ組のプロダクション・デザイナー、ルチアーノ・リチェッリの仕事ぶりが光る。

さらにリカルド・アロノヴィッチ(*8)による縦横無尽な撮影と、この人もスコラ組ライモンド・クロチアーニの的確な編集を得て、舞台にはできない映画ならではの技法――前述のクローズアップから、マッチカット、時代ごとの色調設計、等――を最大限に活用したスコラ演出が、映画的興奮を呼ぶ。本作の初公開時のパンフレットに掲載された田沼雄一氏の寄稿「スコラ監督とヒッチコック・タッチ」を読み、なるほどそうかもと頷かされた。映画的興奮とは、すなわちヒッチ・タッチの事だからね!

そして忘れてはならない音楽。シャンソンからスウィング・ジャズ~ラテン~コンチネンタル・タンゴ~ロックンロール~果ては4つ打ちディスコまで、のバラバラなジャンルの楽曲群、しかもシャルル・アズナヴールやプラターズ、ビートルズらの既成音源と本作の劇伴としてアレンジされた♪イン・ザ・ムードや♪バラ色の人生、♪待ちましょう、そして♪残されし恋には、といった有名曲がシームレスに、違和感なく“同居”している。アレンジ担当のウラジミール・コスマ(*9)の労作だ。

© CINE MAG BODARD – Films A2

スコラは今日、若干忘れられた存在になっちゃった…? 今回の『ル・バル』の放送と配信をきっかけに、改めて注目してもいいのではないか

さて、舞台版はその後イタリア(以下、筆者が確認できた範疇だが…2016年と、つい最近の2024年5月)、スイス(2018年と2023年)、スペイン(2018年)、ドイツ(1994年と2023年)で翻案上演、または再演されている。各国ヴァージョンではそれぞれの国の現代史に置き換えられており、いろいろと勉強になりそうだ。また本作は2022年に4Kレストアが施され(今回の放送・配信でご覧いただくのも、この最新レストア版だ)フランスでは劇場で再公開もされたが、当の監督スコラは今日、若干忘れられた存在になっちゃった…?

晩年は、2016年の逝去の直前までオペラ演出に力を入れていたスコラ。2000年代の作品が(ミニシアター文化の“変質”と共に)日本で公開されなくなり、オペラにシフトしたためか監督の本数自体も少なくなって、毎年恒例の「イタリア映画祭」で『ローマの人々』(未)や前述『フェデリコという不思議な存在』(後に一般公開された)を見たけれど、作品が小粒になっちゃったな…と感じさせられた。

そのせいか映画ファンの間でスコラの名前が話題に上らなくなった印象だが、代表作とされる『La Terazza』(カンヌ脚本賞受賞)等、まだまだ輸入されていない作品が多い。今回の『ル・バル』の放送と配信をきっかけに、改めて注目してもいいんじゃないか。

差し当たって次は、サントラさえ発売されているのに、これまたVHS止まりで【激レア化】した、『あんなに愛し合ったのに』の復活なぞ、如何でしょうかねぇスターチャンネルさん?!(笑)
*1…細かくて恐縮だが、この5部門の中には同年に新設されたアリタリア航空賞(名誉賞に相当)が含まれており、情報サイトによっては同賞をカウントせず4部門受賞と記載している。因みに同賞は1991年を以て廃止された。ところで本作の原題は『Le Bal(舞踏会)』だが、イタリア版題名は『Ballando Ballando(ダンス、ダンス)』である

*2…アルジェリア代表としてのエントリーだった。本作はイタリア・フランス・アルジェリア合作だが、イタリアがフェリーニの『そして船は行く』を、フランスがディアーヌ・キュリスの『女ともだち』をそれぞれアカデミー候補として選出したため。因みに同年の外国語映画賞はベルイマンの『ファニーとアレクサンドル』が受賞

*3…と、書いたがスコラが本作の前に撮った『La Nuit de Varennes』はルイ16世とマリー・アントワネットの逃亡劇=ヴァレンヌ事件が背景の、フランス近代史を扱った映画だった――という事を、今回初めて知った(苦笑)。この頃のスコラはフランスと縁深かった?

*4…Jean-Claude Penchenat、アリアーヌ・ムヌーシュキンの太陽劇団が1964年に旗揚げした際の共同創設メンバーの一人で、その後1975年にテアトル・デュ・カンパニョールを設立。共に本作に出演している、夫人のジュヌヴィエーヴ・レイ=パンシュナとマルク・ベルマン(A・アサンテ似、対独協力者役が印象深い)も所属していた

*5…キャスト中、ジャン=フランソワ・ペリエ(1942年パートのナチス将校役)は、その特異なルックスを活かし『デリカテッセン』『沈黙の女/ロウフィールド家の惨劇』の他2024年新作にも出演。また上記ベルマンも映画・TV双方で活躍中

*6…サイト「Inside The Show」2021年3月27日付けルカ・ビスコンティーニの投稿より

*7…テアトル・デュ・カンパニョールの公式サイト内、舞台版のページに掲載の画像より
http://theatreducampagnol.fr/index.php/le-livre-du-campagnol/creations-collectives/le-bal

*8…アルゼンチン出身の撮影監督。60年代までは本国での仕事が多かったが、1971年ルイ・マルの『好奇心』でフランスに進出。スコラとは本作後『ラ・ファミリア』でも組んだ。その他の代表作に『プロビデンス』『ミッシング』他

*9…ルーマニア出身の作曲家。ヴァイオリン奏者だったが1968年『ぐうたらバンザイ!』で映画音楽家デビュー。代表作に『ディーバ』『ラ・ブーム』『プロヴァンス物語』二部作他。また本作にはコスマに加え、アルマンド・トロヴァヨーリ(『黄金の七人』、スコラ作品も多く手掛ける)が音楽コンサルタントとしてクレジットされている

*特記以外の参考文献
『ル・バル』劇場用パンフレット(昭和60年3月29日発行、発行:シネマスクエアとうきゅう、編集:(株)ヘラルド・エース)
サイト「DigitalCiné」2023年6月19日付けサンディ・ジレの投稿
ブログ「Dame Skarlette」2022年11月27日付け投稿
サイト「Medium」2018年2月27日付けアナアリア・ソリアーノの投稿「“Le Bal” un Análisis Técnico y Temático」
Profile : ミサオ・マモル
映画ひとすじ、有余年。映画配給会社を6社渡り歩き、現在は映画探偵事務所813フィルムズの人。ヨーロッパ映画を中心に、なぜか今まで未輸入だった名篇から、果てはなんじゃこりゃな“珍味”まで、今日も隠れたる逸品を探し求め東奔西走中。いやしっかし、最近の円安にはほとほと参っておりやす、、、
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